monsutela’s blog

忘却録と夜の徒然なるままに

子供の憧れ

先日ラジオを聞いていてふと共感した。

 

コーヒーゼリー

よくスーパーなどでも三連プッチンプリンのように売られているコーヒーゼリーがあるだろう。あれは子供の憧れだった。

ラジオの投稿は「子供の頃、あのコーヒーゼリーは大人の特権のような憧れがあった。そして初めて口にした時の驚きといったら…」と言う内容だった。私自身もまさに同じ体験をしていたのだ。

 

あの三連コーヒーゼリーには小さなミルクがついている。あのミルクの存在が特別感を演出する1つの要素だ。そして見た目からして黒くて得体しれない様相であるが、そのシックさがまた大人っぽく、コーヒー味であるという子供にはあまり想像しにくいというもの憧れの的であったかもしれない。

私の家はプッチンプリンやプッチンゼリーのようなおやつが冷蔵庫にある中に、たまに親用のそれが入っていた。コーヒー=苦いイメージがあって、それに手を出すことはしなかったのだが、冷蔵庫にあるミルク付きのそれはどうしても美味しそうに見えたのだ。

 

とある日、学校から帰宅して覗いた冷蔵庫に1個食べて残り2個となったそれが入っていた。他のおやつが無かったのもあったのかもしれない。憧れのそれを食べてみることにした。(親用とは言え、特に食べてはいけないと言われていたわけではない。ただ自分が大人用と思っていただけだったので悪いことをしているわけではない。)

蓋を取ると香るコーヒーの芳ばしい香りと透き通る黒、子供心からしてそれは憧れのひとくちだった。ミルクも忘れずに入れる。とろぉ〜っとゆっくり表面に広がっていく白い濃厚な色。このときは、コーヒー味だとしても甘く味付けされているものだと信じて疑わなかった。

憧れの一口をスプーンですくう。

すくった断面の凸凹をゆっくりミルクが流れ落ち、やがてその断面を白く覆っていく。

 

口に入れると広がるのはミルクのまろやかさとほんの少しのささやかな甘み、そして苦いと言うほど苦くもないがほろ苦く甘くもない芳ばしい無味のゼリーだった。

 

……

 

憧れの味とはこんなものだったか。

甘さを期待していたから予想外だった。そして憧れのミルクも想像していた生クリームのようなクリームではなかった。ゼリーの味は、苦いにしてもまるで水じゃないか。

考えるとコーヒーはプリンのように牛乳を触媒としているのではないから水で正解なのだが、そのファーストショックは大きかった。

 

 

そんな期待と憧れのギャップを感じることはあるだろうか。大人になって時々出会うそれたちもあるだろう。しかし子供の頃の驚きというのは鮮明だ。このギャップは今なお記憶に残っていたのだ。ハンドルを握り、信号待ちの私の脳内に、ふととある日の放課後が蘇った。