monsutela’s blog

忘却録と夜の徒然なるままに

どの時代も側にある存在

この備忘録ではよく小学〜高校時代の回想をよく綴っている。しかしこれらの時代と今の時代、俯瞰してみるとどの時代にも興じている趣味…というか生活にある習慣があるとふと思った。

 

とある人が、「小中高どの時代も図書館に通っていた」と話していた。そう、私がどの時代も生活にある場所は図書館なのであるが、図書館っていつもいる人もいれば、利用しない人は全くと言っていいほど利用しない利用したこともない人も多いのではないかと思ったわけだ。

私も町の図書館にちらほら足を運ぶ時があるのだが、いつも同じ時間同じ場所にいる人がいる。それはどの時代の図書館にもいた。いつも何をしているのかあまり覗き込むなど無粋なことはしていないが、大抵の場合勉強に熱を入れる学生であったり、何かを調べたり探したり…というわけでもないただただ読書を趣味とする人であることが多い。中には読書より本を用いて調べることを主としている人もいたから図書館の利用方法は人それぞれである。しかしこれだけ図書館に熱を持った人もいれば、周囲で話を聞くと大して生活の中に本がない人もいるわけだ。

かく言う私も定期的に図書館に通う熱心な読書家までではないので、たまに気が向いたら利用している利用客に過ぎないのであるが、図書館以外にも部屋には本が積み重なっていたり本達が収納を圧迫している。それは町の本屋でふと手にしたものであったり、ネットで欲しいと買い物求めたものであったり、はたまたどこかで時間つぶしに購入した本であったりするわけだ。

 

熱心に図書館に通う利用客でないにしろ、日常的に本がある生活というのはどこか当たり前であり、むしろ本が無かった時期にはなにか物足りなさがあった記憶を鑑みると、私にとって本はいつも手に取れる・取れるべきである側にあって欲しい存在なのだとふとそのとある人の言葉で思い出した。

本を手に取る機会が少な無かった時代というのはまあ、高校から先の進学時代なのだが、それでも近くの図書館に行って調べ物をしたり、勉強のために1日中図書館にこもってそれを活用したりということはしていたので、読むほどでは無いにしろ本や図書館は身近な存在であった。

…ああ、もしかして昨日書いた雑誌を作りたいという話も本という形が好きという点もあるのかもしれない………(と、ふと思った)

 

何が言いたいわけでもないまさに自分のための備忘録になってしまったが、ふと誰しも本や図書館が生活に組み込まれているわけではないことに気付いた日であった。