monsutela’s blog

忘却録と夜の徒然なるままに

釧路市立博物館②この街の近代を知る

前回のあらすじ→そーいや釧路市立博物館行ったことないなー。行ってみよー、、え、展示凄いじゃん。

 

さて、2階の紹介途中で区切ってしまいましたが、2階は大きく分けて2つ、縄文時代〜擦文、オホーツク文化あたりの古代と、明治以降の近代に分かれています。

①で古代を綴ったので、今回は近代から。明治に入って北海道の開拓史が大きく動き始めるのは周知の事実かと思いますが、釧路も漏れずその波に乗るわけです。

いまも釧路港は日本の漁業を支える指折り重要な港の1つですが、この頃も海とは切っても切り離せない生活をしていたわけです。漁業関連の展示物やら、明治〜昭和にかけての日用生活品やらが展示されていて、大漁旗が飾られ、船が置かれ、当時の賑わいが聞こえてきそうなそんな雰囲気。私は海街に縁のない人生を送ってきましたので漁業には明るく無いから海の生活はわからないのだけれど、漁の網をみてその網目を一つ一つ直す仕事風景が脳裏に浮かんだわけだ。想像力が貧相なだけあって、船に乗ってる時以外の漁業のイメージってそれくらいしか無いんだよ!!(泣) これまであまり考えたことなかったけどその網みて思った。これ直すのめっちゃ大変じゃね???

初めて聞いたのは「霧笛」というワード。霧の多い釧路では、船の安全のために霧笛を鳴らしていたのだとか。その音が街に響くのが釧路のそれらしさを醸し出していたとか。(もしかして今も鳴らしてるのかな??)港町って感じの浪漫だな〜〜どんな音なのか気になる。

 

そして時代は昭和、戦争の渦中へ。。

多分釧路地域で育った人はみんな義務教育で学んできていることだろうが、釧路は北海道であっても空襲の被害を受けた街。私は道内出身ではあるけれど、釧路出身ではないからその過去を言われて残念ながら「ああ‥そうだったね…」ってくらいの認識しかない。ここで生きるならせめてそのことも、被害があったことも、直接の関係がない人も知人の知人が〜人づてに〜とか何かしらの経験をした人がこの地域にはお住まいだということも、ちゃんと知らなきゃ。

それにしても実際にそれを使っている所有者がいた展示物たちみて悲しくなってきた。銃弾って、橋のあの金属部分貫通するんだね。

 

あと、近代のところで今年引退したキハ〜系の座席とかが展示されてた。もうあの車両が走っていないなんてちょっと信じられない気もするが、時代が移り変わっていくものだから仕方ないね。あの青いフサフサした座席、針金感前回の扇風機、懐かしい。

 

そうそう、大正時代あたりのところにこの間ゴールデンカムイで登場していた「ゲロリ」が飾ってありました。どう考えても現代のスケートより難易度高いよな。