monsutela’s blog

忘却録と夜の徒然なるままに

厚岸・国泰寺の200年@北海道立釧路芸術館

釧路のさらに東に位置する厚岸町は、現在牡蠣の名産地として知られている。そんな厚岸は、その地形の恵まれ古くから豊かな海の幸を得、街が形成されてきたようである。

 

さて、今回は釧路芸術館で行われた特別展、「祈りの造形 地域の記憶 厚岸・国泰寺の200年」の備忘録を綴っておこうと思う。尚、この展示会についてはとっくの前に終了しているので注意されたい。


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国泰寺とは、文化元年(1804年)現在の厚岸町に建立した蝦夷三官寺の1つに数えられるという。今でこそ北海道の大都市といえば札幌、旭川、函館を挙げるが、開拓時代には必ずしもこの三都市だけがその先端であったわけではない。北海道の近代史も非常に興味深いものであるので、追々ここにもまとめ置けたらと考えてはいる。(実現はいつのことになるか、、首を長くしてお待ちいただきたい笑)

 

さて、その国泰寺であるが、当時の生活を物語る貴重な蔵物が保管されているのだと、その物たちを前にまじまじと感じた。

と、言うのも昨今貧困はあると言えど、開拓時代や戦争の時代のように自然と背中合わせに日々を必死で生きる様や、有無を言われぬ権力に生死を左右されるような生命の危機と隣り合わせの時代に比べれば裕福と言えるな時代となった。そのような生死と隣り合わせに生きる厳しい時代において、祈りとは彼等の生きる糧であり、象徴であり、それらは重要視されたのだろうと想像できる。

保管されていた物の中には、祈りの対象とされたものたちや説法を説くための巻物から書物を保存する木製の箱まで、また祈りの道具である鐘や太鼓、人々を導く明かりを灯す燈籠など。静かに、祈りを捧げるように、そのものたちがそこに鎮座していた。


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厚岸は海の町である。太平洋に面したそこでは、きっと荒れ狂う海の中、静かに無事を祈り、帰りを待つこともあったであろう。はたまた、豊穣を祈り、賑やかに祀るということもあったであろう。いつも生活の中には祈りがあった、そう感じられる展示会であった。

 

現在の厚岸にも、厚岸神楽というものが存在しているらしい。神楽というと、笛や太鼓を打ち鳴らし、獅子舞のようなものを使って賑やかす1つの祈りの形である。いまもそれが受け継がれ、脈々と伝わっているように感じるが、北海道の開拓時代に遡ってみるとその数は現代の何倍もの神楽が存在し、各地でそのような祈りが行われていたことがわかる。厚岸神楽は他の神楽が廃れていくような中、なんとか受け継がれてきた貴重な文化なのである。その厚岸神楽も後継者不足に苦しんでいるというニュースにもなっていた。是非とも受け継がれて欲しいものだと願うばかりである。

 

 

本展示会の詳しい内容にはあまり触れずに筆を置こうとしているが、兎にも角にも宗教とは1つの文化であり、生活の一部であり、芸術である。そう感じたということを備忘録として残しておけたらと思った。

 

北海道立釧路芸術館HP

https://www.kushiro-artmu.jp/