人生は暇つぶし(続)
しかしこれといった趣味が無いのは困りものだ。
正確に言えば趣味が無いわけではない。色々手を出した挙げ句に、大きくはまるわけでもなく、かと言って興味を持たないわけでもないという中途半端な状態が困りものである。
多少なりともやりたいこと、やってみたいことはあるし、その実現性は決して不可能ではないものも多い。
だとすればやってみれば良いが、やる気や気力といった面で簡単にできていればこんなに苦労はしていない。
加減、というものをだな…3
まだまだ他にもハンドクリームは転がっているのだが、結局行き着く先は庶民的なところに落ち着く。
その辺で気軽に手に入り、値段も安くよく見かけるシリーズと思う。高いもの珍しいもの、様々な方面に手を出してなんだかんだ戻ってくるのはここなのだ。
絶賛ブームの最中にあって、色々使用しているがこれが私としては一番さっぱりというか、塗ったあとのベタつきをはじめとした感覚が好きだ。保湿されているのかはよくわからないが、一番使い勝手がいい………こんなに試してここに落ち着くのは少し滑稽かもしれない。(数多転がるチューブを横目に)
加減、というものをだな…2
思えばこれを買った辺りからではなかったろうか。薬局のハンドクリームコーナーで選んでいたら、話し好きな店員さんに話しかけられ勧められたものだ。
しっとり夜間の保湿を担ってくれるクリーム。チューブを絞るとしっかり目の出であるが、クリーム自体はきめ細かく生クリームのような柔らかさが楽しい。
私は別に他人の意見を参考にしたかったわけでもなく、そのような雰囲気を醸し出していたわけではないが話しかけてくれた店員さんは、手だけでなく足(特に踵のガサガサ)にもオススメと実績を語ってくれた。
あとにその店員さんの動向を観察していたら他のスタッフとも立ち話をしたりとにかく喋っていない時間の方が短い様子だったので、私がそのコーナーにいた時点でその店員さんとハンドクリームの話をすることは確定していた運命だったのだろう。もちろん私もそのような立ち話は嫌いではないので、このようなオススメは積極的に参考にした。自身の価値で選ぶ中にはなかった選択肢であったので、これはこれで良いハンドクリームの出会いができた。
この時点で私の手元のハンドクリームは確か3つ程度であったはずだ。
加減、というものをだな…
これが趣味でないと言えば一部からはブーイングが来るかもしれない。
最近の自分のなかの流行りはハンドクリームである。どういうことかと言うのは言わずもがな、といったところであろう。単に様々なハンドクリームを試しているだけなのであるが、現在思い出せる限りで開封されているハンドクリームはゆうに10本を超える。
ここにまだ開封されていない状態のものも数本あるというのだからはまっていると言わざるを得ないであろう。
人間の手など、ふたつしか持ち合わせていないのだから絶対こんなにはいらないはずなのだ。
当初は外で使う用と部屋のハンドクリームの定位置、そのふたつのみであった。手指の乾燥が気になったことをきっかけに、ベットサイドにも1本常設しようとしただけなのだが気付けばハンドクリームと名の付いたクリームが溢れかえっている。
ハンドクリームといえばここと一番に名前があがりそうな有名どこだと思っている。街ブラをしていたらたまたま店舗をみつけてしまった。
化粧品にも消費期限があると言われているのを聞こえないふりをしながら、また気になるものを見かけたら手にする未来が見える。
人生は暇つぶし
「趣味は何?」と聞かれ、パッと言えるものはあるだろうか。
読書、ドライブ、YouTube…ありきたりでまるで広がりがないものばかりだと最近よく思う。
一人で終結するものが多いからか。しかしまだアウトドアなどと言ってみた方が広がりがありそうにも感じる。
一体人は普段何をしているのかふと不思議に思えてくる。しかし確実に時間が経っているし、気付けばこんなにも長く生きているということにも至る。そしてそれを時々思い出し、また同じことを考え、同じ結論に至る堂々巡りの思考である。
そんなことを日々考え至るわけであるが、とあるところでタイトルのような言葉を目にしたことがあることを思い出した。
人生は暇つぶし
それを何処かで読んだときには気分が満たされていたからか、「そんなわけあるか」と思ったりもしたものだ。しかしどうだ。今のようなタイミングで思い返してみれば確かにとそうとも言えなくないではないか。
継続すること
前に投稿をして何日が経ったか。
ふとこのブログの存在を思い出し開く。
六十何日の文字を目にし、思っていたよりも空いていなかった事に安堵しながら過去の自分の記事を巡る。
一時期書いたと思えば、一切書かない時間が続き、また気が向くとふと書き出す。
継続は力なり、なんて小学校のスローガンにでもなろうというこの言葉が脳裏にユラユラ浮かんでくる。継続とはまこと難しい。
と、思ったことでもメモをするように気楽に書き置けばいいのではないか、そうこのブログの運用を思案する。
帯広美術館@銀の匙展
銀の匙という作品はどのくらい有名なのだろう。ここで「どのくらい」と問うのも不毛であるが、全国的にみて多くの方に知られている作品なのであろうか。
作品の舞台は北海道十勝。地元に近い場所が舞台であると、地元ではかなり有名な作品なのであるが、これが全国的に見ようとするとどれくらい有名かというのは想像つかない。
さて、そんな有名な銀の匙という作品だが、北海道十勝のとある農業高校を舞台にした漫画原作、高校生たちの農業青春ストーリーとでも言えばよいか。かく言う私自身も原作を全て読んだことはない。今回の展示会に足を運び初めて知った内容も多かった。しかし中には知らないストーリーがあるなかでも非常に楽しむことが出来た。
銀の匙展は特別展として東京、大阪、札幌という大都市と、帯広の4都市で行われた
原作展というものが初めてだった。漫画の原本というものも初めてみた。原本って凄い、マジックでベタを塗った跡やら、手書きのレタリングオトマトペ、トーンは以外と薄いのだとわかった。「ああ、こうやって人がペン握って書いてるんだな」って思って、原作展ってこれまで興味なかったところにその良さを知る機会にもなって良かった。
取材の写真を1ページに何枚も印刷されたものが何ページ、何冊も綺麗に保存されてるファイルが置いてあったのも印象的だ。先生がどのように資料を集めてるのかを知れたのが1番感動ものだったかもしれない。
ところどころで先生の一言コメントが貼ってある。半分くらいはネタだったかもしれない。その中に時々鋭いコメントがあるからうるっとくる。
春夏秋冬のパネルも"らし"かった。農家ではコンパネという木の板が身近な存在であるが、それを使ったパネルになっているのは芸が細かいと思うと同時に、それだけ忠実に作品に落とし込んでくれているのかと嬉しくなるのだ。