monsutela’s blog

忘却録と夜の徒然なるままに

何かを取り組み続けるため、弱い自分に伝えたい事

目から鱗がこぼれ落ちた話。

 

この3日間だけと決めてみる。そしてその3日は取り敢えずやってみる。続けれそうであれば継続してみても良い。

 

よくよく考えなくてもたどり着く思考ではあるはずであるが、人は時として視野が狭く、また思い込み激しく、さらにはなぜかふと抜けていたりと、ある種人間らしい欠陥がある。

なんなら一度自分で考えたどり着いた考えであったとしても忘れていることがある。私のように。

 

この三日坊主の考え方は自分でも考えついたことがあり、実際に実践してみようと思い立ったのだ。その時は。

しかしなぜ忘れ去ったかといえば、その三日坊主にならぬうち、すなわち心に決めたであろう三日を徹底して取り組まず、颯爽と忘れ去ったからに違いない。

よくドラマやアニメなどで主人公がカレンダーにわざとらしく丸を書くなどして、「よし!」と言っている画が想像できるが、まさにその丸こそが大切なのではないかと思えてきた。自分の意思とは小さく脆く、自分の記憶力もまた儚いのである。

 

何かに取り組もうと考えたそこの自分に言いたい。まずカレンダーに丸を書こう。いや、丸である必要はないが、とにかく自分の脳を過信せず丸を書けと伝えたい。

 

トンネル

秋から冬にかけての時期とは、沁み沁みと心に染み入ると言えば聞こえがいい。物悲しい、と言ってもよく聞こえてしまうものだから舌打ちでもしたくなるが、私はこの時期が嫌いだ。

 

昔から11月を中心にこの時期は苦手なのだ。11月の20日も25日を過ぎてしまえば大体は上がってくるのだが、今年は特にこれに大きく左右されてしまったようで師達の走り回る足音が響くこの12月になっても尚気持ちがのらない。

と、言うのも私自身の今身を置いているこの状況・環境について少し考え始めてしまったのがことの発端なのである。やってみたいことや興味を持った世界が見え隠れするなか、非現実的なその影に目を背け、ひたすら今まで寄り道せずに真っ直ぐ歩いてきてしまったのだ。それに少し嫌気が差してきた時分で、季節も重なり今に至る。

もし影に目を向けようともすれば、結構大きな決断になるのでそこそこ困っているところだ。

 

時を同じくして、私の秋とは読書の秋と呼ぶべき"読書気分"が高まる。今年は上のような悩みもあったせいか、私の熱意は自己啓発やら実用書やら"楽しむ"とは少しテイストの違った方面に向かった。

その中で「書くことは自己表現」と述べた本があった。ここでふと自身の悩みと重なった。この備忘録のように何か文やまとまった何かを書いて残すこと、単に忘れずメモを取ること、SNSのような人目に触れるところに出すこと、、、作家や画家などでは作品として残すことも1つか。はたまた記録を目的とせず誰かに見られることを前提としないただ思いを何かを吐き出すための手段であったり、どのように表現するかという広義で捉えるのであれば言語や人とのコミュニケーションだってその1つで……と、思考が広がっていく。

 

ハッとなった。

 

具体的にどんな悩みで、どこに刺さったか、なんかを書くとまたウジウジしそうになるので止めておくが、つまり私はいまの現状では自己表現出来ておらず、それを求めていたのかもしれないというところまでわかった。そしてその表現は、"書く"という非常に身近で簡単な方法でしてもできると言うところだ。

このブログは誰に見てもらうでもない、自分に書くことを半ば強制させる自分のための記録であって表現とはまた少し異なるツールではあるが、単に訪れた備忘録を作成するに留めず、こうして思ったことを残しておくのも良いのかもしれない。

 

厚岸・国泰寺の200年@北海道立釧路芸術館

釧路のさらに東に位置する厚岸町は、現在牡蠣の名産地として知られている。そんな厚岸は、その地形の恵まれ古くから豊かな海の幸を得、街が形成されてきたようである。

 

さて、今回は釧路芸術館で行われた特別展、「祈りの造形 地域の記憶 厚岸・国泰寺の200年」の備忘録を綴っておこうと思う。尚、この展示会についてはとっくの前に終了しているので注意されたい。


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国泰寺とは、文化元年(1804年)現在の厚岸町に建立した蝦夷三官寺の1つに数えられるという。今でこそ北海道の大都市といえば札幌、旭川、函館を挙げるが、開拓時代には必ずしもこの三都市だけがその先端であったわけではない。北海道の近代史も非常に興味深いものであるので、追々ここにもまとめ置けたらと考えてはいる。(実現はいつのことになるか、、首を長くしてお待ちいただきたい笑)

 

さて、その国泰寺であるが、当時の生活を物語る貴重な蔵物が保管されているのだと、その物たちを前にまじまじと感じた。

と、言うのも昨今貧困はあると言えど、開拓時代や戦争の時代のように自然と背中合わせに日々を必死で生きる様や、有無を言われぬ権力に生死を左右されるような生命の危機と隣り合わせの時代に比べれば裕福と言えるな時代となった。そのような生死と隣り合わせに生きる厳しい時代において、祈りとは彼等の生きる糧であり、象徴であり、それらは重要視されたのだろうと想像できる。

保管されていた物の中には、祈りの対象とされたものたちや説法を説くための巻物から書物を保存する木製の箱まで、また祈りの道具である鐘や太鼓、人々を導く明かりを灯す燈籠など。静かに、祈りを捧げるように、そのものたちがそこに鎮座していた。


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厚岸は海の町である。太平洋に面したそこでは、きっと荒れ狂う海の中、静かに無事を祈り、帰りを待つこともあったであろう。はたまた、豊穣を祈り、賑やかに祀るということもあったであろう。いつも生活の中には祈りがあった、そう感じられる展示会であった。

 

現在の厚岸にも、厚岸神楽というものが存在しているらしい。神楽というと、笛や太鼓を打ち鳴らし、獅子舞のようなものを使って賑やかす1つの祈りの形である。いまもそれが受け継がれ、脈々と伝わっているように感じるが、北海道の開拓時代に遡ってみるとその数は現代の何倍もの神楽が存在し、各地でそのような祈りが行われていたことがわかる。厚岸神楽は他の神楽が廃れていくような中、なんとか受け継がれてきた貴重な文化なのである。その厚岸神楽も後継者不足に苦しんでいるというニュースにもなっていた。是非とも受け継がれて欲しいものだと願うばかりである。

 

 

本展示会の詳しい内容にはあまり触れずに筆を置こうとしているが、兎にも角にも宗教とは1つの文化であり、生活の一部であり、芸術である。そう感じたということを備忘録として残しておけたらと思った。

 

北海道立釧路芸術館HP

https://www.kushiro-artmu.jp/

自分探しに

今週のお題「日記の書き方」

 

日記、と言えるかわからないがこれまたポツポツ続いているものがある。これは現在進行系て続いているものなのだが、毎日どころか、下手したら数ヶ月に1回だけというのもある低頻度の日記がある。

 

これはスマホのアプリで思いをつらつらと書き連ねただけのものなのだが、色々思い悩んだときや、ふと何かが吹っ切れたとき、考えがまとまったとき、何かを思いついたとき、そんな突発的に起こる思考の文章化を試みた日記である。一応カレンダーのような日付が並んでいる、思いついたとある1日に書き込んでいるから日記の1つではあると思っている。

 

主にこれを書くのは夜の布団に入り、部屋の電気も消しいよいよ寝ようという時分である。そこから起き上がり、電気をつけてノートを開こうという気分にならないから、手元のスマホで済ませてしまおうというのはある種、合理的な付け方だろう。夢の内容を忘れまいと早朝、中途覚醒して書き上げた日も残っている。共通しているのは全て布団の中で書かれたものということか。

かれこれ何年か、10年ないし、少なくとも5年は続いている。

 

内容はその時々なのでテーマもその日の出来事でも無いことがほとんどである。ふと思い当たったことを忘れずに書いておく、その日起こったことから思考して出た考えであったり、夢の内容であったり、自分の考えを落ち着けるのにまとめてみるメモであったり。

 

この日記は時々見直してみたりもするが、その時考えた事というのは一瞬のことで、その時そのように感じたことは膝を打つような内容であることが多い。突如として書かれたその日記は自身の要にもなるような、目から鱗でも溢れようかという内容である。ふと思いついた考えというのは瞬く間に消えていくが、こうして残しておく事の中にはどこか引っかかる答えでもえるのか。

「よし、書こう」とノートを開いて書き連ねる日記も良いが、こうして突如思い至ったことを書き連ねていく日記というのもなかなかに感慨深いものかある。

 

 

押入れを見れば懐かしの②

今週のお題「日記の書き方」

 

1年が過ぎ、そのスケジュール帳には次の年のスケジュールや日記を書くページがなくなってしまった。私は初めて書店でスケジュール帳を買った。それまでよく小学生が使うような表紙に虫や植物が書かれたジャポニカ学習帳や、ただのノート(と、言ってもその年齢を表した派手なデザインのノートであるが)に何かあった日だけ出来事を書き込むことはあったが、継続的に日記をつけ始めたのはまさにこの頃だろう。

以降、どのような日記をつけていたかは明確に覚えていないが、スケジュール帳のマンスリーのカレンダー欄にその日の出来事を細々と書き込んでいたのは悠々として思い出される。

そんな日記は中学時代ずっと続いたと記憶している。内容は取り留めもなく、また、当時好いていた子のストーカー日記であると言っても過言がない内容であったろう。おそらくこれらの日記は一冊も捨てた記憶が無いから、探せばまだ手にできる筈であるが、私は一切読みたいと思えない。読んだら最後、どこ構わず叫びたい衝動と、恥ずかしさ痒さに苛まれ、しばらくは「ア"ーッ!」と思考を邪魔する種を植え付けてしまうであろうから。

 


しかし先にも記述した通り、これまでの日記やスケジュール帳はかつて1冊も捨てず押入れに残っている。読む機会もないのだが、後々起こるであろう発狂が前提になるが、読もうと思えばいつでも向き合える。日記をつける過去の自分と今の自分とでは外見も中身も立場も置かれた環境も様々なものが変わってしまっているが、時が経ってもそのノートに向かう自分はきっと同じ姿勢で、同じ眼差しで向かうのであろう。

ひとりごと

 

このブログを綴るにあたり、その皮切りを何から始めようか。そう考えた時、内容の多くを資料館などの備忘録にするのであれば、その近辺で訪れた博物館で特に印象深かったものを書こうと思い立ち、長々と釧路市立博物館について書いたわけだが、おそらくその熱量は続かないことが開始3日でわかった。

その証拠に、釧路市立博物館以降の記事はパタリと止まっているのが何よりの証と言えよう。

もっと気軽に残しておきたい、一本目の記事を書きながら思っていたことだった。そして1か月以上の月日が経ったいま、こうしてボチボチ再開をしているわけだが、この間にも訪れた資料館や展示会があるのが勿体無いことだ。そのうち書き記したい。

 

先日、カフェ(?の、くくりでいいのか?)を訪れた際、画像のただ鮭とバターのパスタを頼んだ。手軽な具、これでいいんだよこれで。そんなことを思いながら咀嚼していた。簡単でいいんだよ、完璧でなくていいんだ何事も。そう自分に言い聞かせながら。
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押入れを見れば懐かしの①

今週のお題「日記の書き方」

 

日記というと、毎日ノートを開くのが面倒くさい、今であればそう感じてしまうのだが、かつて私は何年にも渡って日記をつけていた時期があった。

もう何年になるか、と指折り数えるのは悲しくなる…というか自分の持ち合わせた指では到底足ることはない年月が経っているのは明らかである。と、言うのも、毎日欠かさず日記をつけていたのは小学校高学年〜中学生だったと記憶しているからだ。

その時の担任の先生は、今振り返っても独特な方針の、、と言うとあまり聞こえが良くないが、現代社会を学ばそうという非常に実用性を重視した先生だったのかもしれない。毎朝その日のニュースを発表する時間があり、宿題の1つには自習ノートという名の1つの形態があり、中身は自由だった。ので、他の子たちが問題集をやったり漢字の練習をしたり勉強らしい勉強をしている中、私は毎日特に知っていて何になるかともわからぬ内容を書き連ねていたことを思い出す。

そんな先生だったからなのか、はたまたそういった学習要領によって実用性の学習が求められた時代だったのか判りかねるが、ある日1冊のノートが配られた。自習ノートとはまた異なる、私が人生で初めて手にしたスケジュール帳だった。

学習のスケジュールを書くというのが目的だったのかもしれないが、よくできたことにそのスケジュール帳は日記帳にも最適だった。どう最適だったのかはよく覚えていないが、どうやら毎日開く意識を向けられ、しかもスケジュールとは別にしかし日々の記録が出来て………思い出そうとするほど曖昧になっていくが、兎にも角にもそのスケジュール帳は私が日記を続けるきっかけになったのだった。